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日本語の起源 2

9時浜田のおさかな市場に行って来ました。ノドグロなどをお使い物にしたかったのですが、残念ながら此処の所海が荒れて魚が入らないとのことでお休み。明日もう一度行って見ます。帰りに河野さんの処へ寄って野菜を頂いてきました。今日は日本中注目の男子フィギアフリーが有ります。SPでは羽生がトップ、宇野が3位でしたので、期待をしてみました。流石羽生は率なく演技をして、堂々の金。宇野が最初の4回転で転んだものの後を纏めて銀は立派。日本中大騒ぎでした。2時過ぎ、テレビ中継が終わってテニスコートへ。ここでもひとしきりその話でした。河野夫婦、我々夫婦、元重夫婦、黒目、広岡、島津、中川、大屋。風が冷たかったのですが元気に5時まで。

日本語の起源の続きです。

朴さんの「日本語の悲劇」は、日本語の起源をすべて古代朝鮮語であると断定しているので、かなり無理があり、そこを突かれると主張にほころびが出て、全体が怪しく見えるのが難点です。また、日本人が全部朝鮮半島のみから渡って来たのでは無く、いろんな言葉を持った集団がやってきたことを前提にすれば、もう少し柔軟な考え方をしたのではないでしょうか。古事記を古代サンスクリット語で読むと判ると言う説も、もう少し思考の幅が広がりそうな気がします。サンスクリット語源説も、古代サンスクリット語を話す集団が、古代インドの神話を基に日本の神話を伝承したとの説ですが、集団が一つにまとまるためには、神話を生み出すことが重要だったと言うのがサピエンス全史の著者ハラリ氏の主張の柱でもあります。最初は争ったこともあったでしょうが、出雲の国譲りの伝承のように、相手を殲滅するのではなく、交渉で権力の移譲、あるいは分割(政教分離かもしれない)が行われたのではないかと思われます。古事記の中に出雲の記述が三分の一もあるのはそれが原因かもしれません。ともかく、異民族の集団を一つにまとめる為には、共通の神話を持つことが重要だとすれば、古事記が纏められたことも理由が良く判ると言うものです。つまり、自分たちは共通の神話(祖先)を持っている一つの集団だという訳です。日本列島が最西端でこれ以上はどこにも行くところが無ければ、お互いを殺しあうよりも、話し合いで共存する道を取る方が合理的だと思ったかもしれません。言語も新しい共通語を生み出すとともに、元の言語が残るのも当然のことと思われます。数字の数え方も、いち、に、さん、し、もあれば、ひ、ふ、み、よもある。韓国語で1を表す「ハナ」も残っているし、共通語と元の言語が併存しているのでしょう。他言語にある母音は5音だけではないのが多いのですが、共通言語にするためには出来るだけ単純にしたほうがお互い判りやすいだろうから、あ、い、う、え、おだけが残ったとも考えられます。

もう一つ大事なことが有ります。言語を共通にするだけでなく、お互いの考え方も柔軟に取り入れることで、日本に新しい文化が出来上がったのではないかと言う事です。川喜田二郎さんのKJ法と言う素晴らしい手法が有ります。沢山の考え方を纏め、新しい考え方を導き出すことで、人間の思考は進歩していくと思われますが、日本人は巧まずしてこの手法を取り入れていると思えば、KJ法が日本で作られたと言うのもうなづけることです。これからグローバル化が進む地球上で、必要とされる知恵が日本にはあると言うのは誇りにして良いことだと思います。「驚くべき日本語」の主張は、世界の言語を良く知った著者であればうなづける説だと思います。今回はこれくらいで終わりにします。今後多くの学者が、多面的に研究、分析してくれることを期待します。